新蓮の葉ブログ

逢坂の蓮ちゃんが日々悶々としていることを書きなぐるブログ

その①

㈠とか⑴を使うのではなく①を使うのが好きな理由は小学生の若かりし時に初めていち、の変換で①が出ることを知ったからだ。
本当にどうでもいい限りである。


世の中の人はたいてい嘘をついているのだとすると、この世には本当のことを言っている人などいないことになる。それはずる賢く生きている、と定義されるのかもしれない。つまりは、人間みんなそのやり方をしているのが普通なようである。
しかし、人はみな嘘で取り繕って友情や愛情を育んでいるのだろうか。そう考えると、私たちの本質はまるで味のないガムの様な、軽質で重用されることのない存在だとみなされるであろう。
少なくとも、私はそのような生き方ができなかった存在であるので、思ったことしか言えず、ある見方をすれば素直、ある見方をすれば馬鹿正直という位にいることになる。となると、嘘で塗り固められた友情や愛情よりよっぽど幸せにはならないだろうか?
つまり、こんなにも自分は不幸だ、幸せになることはないと豪語していたのにも関わらず私は受動的に幸せになってしまったわけである。
逆に考えて、君たち人間はそんなに嘘ついてばかりで苦しくないのだろうか?それがまともなことなのだろうか?嘘で塗り固められた関係に何の将来性があるというのだろうか?
だからといって、素直に生きていると世の中の矛盾だらけに気付き、生きるのが苦しくなるだけでありこの世のすべては依然として分からないままである。