蓮の葉ブログ

逢坂の蓮ちゃんが日々悶々としていることを書きなぐるブログ

寝れなくなってしまった

 

昨日はめっちゃ寝よう!

と思って3時間ドライブしてました。何故。蓮ちゃんです。

 

18時から寝てたんですけど3時ぐらいに目が開いて全然寝れなくなってしまったので可愛い子のTikTok見てたらとうとう寝るには遅すぎるし起きるにははやすぎる時間になってしまいました。鬱です。でも8時間以上一応睡眠は取ってるんですね。エライッ。

 

今回はちょっと真面目な話をします。本当に真面目なのでえ、これほんとにあの頭がやばい蓮ちゃんが書いてるの……?と思われるお嬢さんもいらっしゃるかもしれませんね。え?そもそも観覧者がそんな居ない?それはそうでした。

 

今回のテーマは昨今問題になっている誹謗中傷の件についてです。いや本当に真面目でしょう?

 

蓮ちゃんはリアル以外ではネトゲでしかインターネット上の誹謗中傷といえばされたことがありません。そもそも、そこまで活発的にネットでオープンに活動するということはありませんでしたから、誹謗中傷される経験というものがあまり分からないんですね。

 

しかし、今回実は蓮ちゃんはミスiDという新しい時代をサバイブする多様な女の子のロールモデルを発掘するオーディション(ミスiDHPよりコピペ)に応募して、初めてオープンに顔を晒したり、日常的なツイートをしたりしています。

 

あ、フォロワーが全然増えないのでフォローしてくれてもいいんですよ?twitter→@ousakarenで検索検索ゥ!!!!

 

余談(宣伝)を挟みましたが、そうオープン垢にすることは結構抵抗のある方だったんですね、知らない人に顔を晒したり、知らない人に自分を知ってもらうっていうのは、結構難しい、というか危ないことだというネットリテラシーの持ち主だったので。それで、昨日だったか、一昨日だったか、私のツイートに鍵垢RTがされてました。鍵垢RTって何?っていうお嬢様方の声にお答えすると、Twitterには、オープン垢(誰でも見れる)と鍵垢(許可した人しかツイートを見ることが出来ない)というものがありまして、後者の方ですね、後者の方にいいねやRTされても自分がフォローしてなければ通知は届かないし、誰がRTやいいねをしたのか知ることが出来ないという仕組みになっています。

最初は、もしかして、宣伝してくれてるのか?!と思ってちょっと嬉しくなったのですがそれならばオープン垢でRTをしたり、いいねも同時にしたりするじゃないですか。するとこれはもしかしてアンチか?とふと頭をよぎりました。

蓮ちゃん初めてのアンチです。すごくない?(すごくない)

いや、その方が純粋に蓮ちゃん可愛い、サイコーと思って鍵垢RTをされているのなら本当に申し訳ない。ただの憶測で物を言ってマジメンゴ。って感じなのですが、もし悪意のあるRTでブッサwwwwwwwフォロー外すわwwwwみたいな感じだったら、蓮ちゃん初めてのアンチですよ。なんかそう考えると感慨深いな(深くない)。

 

そこで少し、昨今問題になっている誹謗中傷について頭をよぎりました。蓮ちゃんの場合は直接言われていないので、誹謗中傷に当てはまらないとは思うのですが、匿名で人の心を持たない人はいます、この世の中ネットが発達すればするほど沢山になると思います。リアルでもいるじゃないですか、1人だけ招待されてないLINEグループで散々悪口いうやつ。面と向かって、言う勇気が無いんですね。

まず、誹謗中傷は何故起こるのかについて考えてみると2通りあると思うのです。1つ目は本当にこの人のことを思って、直して欲しいと思ったから言い方を悪くして、悪口ぽく言った、これが結果として誹謗中傷になってしまった。2つ目は本当はその人のことをどうでもよく、誰でもいいから罵詈雑言をはいて、ストレスの捌け口にしたかった。

今の誹謗中傷問題を見ていると圧倒的に後者が多いんだろうなと思います。本当に芸能人、有名人に蓮ちゃんはなったことがないので、その人が受ける誹謗中傷について詳しくは語ることが出来ません。経験してないものを経験した体で話しても薄っぺらくなりますからね。

でもネットが発達して、個人個人の特定が難しくなればなるほど、後者の方が多くなると思います。それほど、ストレスを他の所で上手く発散できない、人の不幸を喜んでしまう、というのが現代日本の現状では無いのだろうかと感じてしまいます。

人の良いところを話すより、悪口の方が盛りあがったりすることありませんか?それと同じで人間の本質は他者より自己の方が上手くやっているとすり替える事で、安心感を得たいのではないのかなと思います。

それだけ自己の確立が上手くいってない人が多いのでしょうか、なんだか難しいですね。日本人の自己肯定感の低さは目を見張るものがあります。謙虚、と言ってしまえば聞こえはいいですが、それに本質を伴っていないとただただ中身のない空っぽの人間になってしまいそうです。

 

なんだかズレてしまった気がします。誹謗中傷はなかなか無くならないと思います。なぜなら、誹謗中傷をする人が安心感を得られないからです。他者の価値を落とすことで自分の価値を持ち上げているのです。そのような方法でしか、自分を確立出来ない人が多いからです。こう考えると日本の教育にも問題を覚えますね、どうにかして、自分の機嫌は自分でとる。他者に依存しなくても、自分を確立させる。そのような事を教育を進める上で学べたら良いとは思いますが、人間十人十色なので、一人一人にそれを教えるのは難しそうです。なので、ネットリテラシーというやんわりして人の悪口を書き込んだりしちゃだめだよということしか教えられないのでしょう。これでは、本当に教師の言うことを守り、書き込まない人とそんなん知るかばーかって書き込んでしまう人が出てきてしまいそうです。なぜなら強制力がないからです。義務ではないからです。では、家庭でそういう教育をしたらどうだ、と考えるのですが、家庭崩壊を起こしたり、母子家庭や父子家庭でほとんど家に人がいない環境で育った子供にそれを教えるのは難しいと思います。それに加え、大人でも自分を他者に依存し、他己肯定感だけが肥大して、他者から離れられない人が沢山います。難しいですね。蓮ちゃんの頭では考えれば考えるほど分からなくなってきます。

 

誹謗中傷について考えたのですが過去一真面目で長くなってしまいました。長文スマソというやつです。しかも途中から自己肯定感の話をし始めました。話が脱線してしまうのはブログを書く上であまり上手くないやり方ですね。反省してまーす(大嘘)