蓮の葉ブログ

逢坂の蓮ちゃんが日々悶々としていることを書きなぐるブログ

宗教

 

タイトルにあんまり意味は無いです。

バイトの三連休がいつの間にか四連勤に早変わりしてても、部屋に大きい蜘蛛が入ってきても、寝床に入ったタイミングでお迎えが来ても怒らないであげたのに。コロナの緊急事態宣言が解除されてから人と接する機会は100倍程に増えた。けど、だからといって心が満たされるわけでもなく、ほんのしょうもないことで不幸のどん底まで落ちてしまうのは女の子だからだと思ってるけど違うかもしれない。

 

前から言ってる通り人は二面性を持つものだと思っていて、その二面性を持つのが限りなくしんどい。私はずっと暗い、ずっと悲しい、ずっと1人。意味もなく、人生を考えてしまう訳も意味が無い。明日の話をしても今日が終わらない。明日はどんな日になるかなって期待をして最悪だったら嫌だし、逆に嫌な日になるかもと思って寝るのも嫌だし。一生続く今日に明日が来ない。それは将来性がないことを揶揄してるんだけど。平凡、汎用、波風立たず、そんな人生。

私に関わる人全てがそうだし、みんな生きるのに必死。明日のことなんかほとんど考えてない。生きるのに必死。考えても無駄だと気づく。けど私はどうしても明日を考えて今日も眠れない。人は死ぬとどうなるの。生きてて意味があるの。それが分からないから、人は宗教に縋る。でも私はそれをしない。他人を神に見立て、さも宗教かのように扱うことを軽蔑してる節はある。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。神になる人間はいない。人間。人間とは。

 

生きるとは、考えても答えは一生出ない。もしくはいつ死ぬと決まっている前日にふと気づいたりするのかもしれない。しかし、人間はいつ死ぬかなんて分からない。だから一生生きる意味は分からないし、生きる意味なんかない。でも生きる。意味はなくても、生きる。

 

正解とは、正しいことをしたものが正解なのではなく、人間に都合のいいことをしたら正解なのです。つまり、この世に正しいことなど依然なく、人間が正しいを与えていくのです。馬鹿ばっか。人間同士にコミュニケーションツールがなければ、もっと人間は進歩しなかったのかなと思うと、人間の進化に落胆せざるを得ません。私たちは生まれるべきではなく、人間という動物の進化は止まり、淘汰されるべきだったと考えます。そしたら、悲しい子なんかいなくなるし、暗い人間と明るい人間に差なんて付けられなくなるし、なんにも悩まないで良くなるのにね。

一生人間コンプレックス背負う気がする。