蓮の葉ブログ

逢坂の蓮ちゃんが日々悶々としていることを書きなぐるブログ

許さない

 

許さない、全部許さない。

許されないの間違い。許されない。

まだ19時なのに眠たい。何もしてない。

まだ空も明るい、許されない。

音楽を聴いても想う誰かなどいるはずもなく、孤独に寄り添えない音符は不協和音に聞こえて何もかも私を許しはしない。

何かを思えるほど強い感情はなく、ただただ諦めを語り、明日から目を逸らし、夢の中へ逃げる毎日も許されない。何一つ成すことが出来ていない。許されない。

他人とのコミュニケーションが自分の都合のいいようにならないからって体のいい原因を作り上げ、罪の意識をなくそうとし、諦めてしまうのは人間らしくて嫌い。だから私はコミュニケーションが苦手だし、それについて原因なんてないと思っている。ただただ他人との意思疎通が下手なだけ。人に長所短所あるように私はコミュニケーションが苦手。それだけ。苦手なことが原因になるのなら、私は人と関わるのを辞めなければならない。諦めたくはない。でもできる限り最小限に減らしたい。人間苦手なことはあまりやりたくない。数学が苦手でも社会が得意な人がいるように、得意なことだけで生きられたらきっとそれに越したことはない。でもそれってまた人間らしいのかなと思うと私はどうしても人間だから、人間として生きるという初歩的なことを学ばなければいけないのかなと思う。許さない。人間を辞めるのは許されない。宇宙人になれたら、テレパシー使えたら、私はもっと友達が多かったのかな、とか、私のことを誕生日に思い出してくれる人もいたのかなとか。もうその考えが人間的で社会的で、結局1人で生きられない原因を作ってるのは自分なのではないかと思う。

人間らしく生きなさい、それは嫌です。だから逸脱したいのに、21年間地球で人間として生きてきた結果、許されない、許さないことになった。手遅れなのか、まだ、私には到底知ることは許されない。

5/31

 

今日も羨ましい羨ましいに感情を左右されてしまって何も出来ない。他人を羨むことを辞めれば一瞬楽になる。でもその先に、肥大化した自己を認めるものがないからずっとずっと比較してはダメ、比較してはダメ。どうしてあの子は可愛いのに私はダメなの、どうしてあの子は頭がいいのに私はダメなの、そんな感情に押しつぶされそうになる。他人は陰の努力を見せることをあまり良しとはしない。あたかも、最初から出来ていたかのように見せた方が才能があるように見えるから。だから、鈍感な私は他人の努力に一切気づくことなく、他人を羨ましい羨ましいと指をかみながら、何もかもダメにしてきた気がする。

ほんとに上手くいかない時は上手くいかない。

 

私の方が上手くできたのに、他人に認められてる人は何。私の方が上手に書けたのに他人に認められた人は何。お金まで貰って、欲しいもの全部持ってく。

他者に認められるためにある人生なんて味の無いガムみたいな人生だ。承認欲求を自ら満たすことが出来ない可哀想で哀れな子たちは味のないガムを一生噛み続けるのだろう。

私もいつか、このガムの味が無くなる気がする。

そんなの違う!って否定をしても、心の中では私の方が上手くできるのに、私の方が、という気持ちは隠せない。もう、私は何もできませんと諦められたらどれだけ楽だろうな。

宗教

 

タイトルにあんまり意味は無いです。

バイトの三連休がいつの間にか四連勤に早変わりしてても、部屋に大きい蜘蛛が入ってきても、寝床に入ったタイミングでお迎えが来ても怒らないであげたのに。コロナの緊急事態宣言が解除されてから人と接する機会は100倍程に増えた。けど、だからといって心が満たされるわけでもなく、ほんのしょうもないことで不幸のどん底まで落ちてしまうのは女の子だからだと思ってるけど違うかもしれない。

 

前から言ってる通り人は二面性を持つものだと思っていて、その二面性を持つのが限りなくしんどい。私はずっと暗い、ずっと悲しい、ずっと1人。意味もなく、人生を考えてしまう訳も意味が無い。明日の話をしても今日が終わらない。明日はどんな日になるかなって期待をして最悪だったら嫌だし、逆に嫌な日になるかもと思って寝るのも嫌だし。一生続く今日に明日が来ない。それは将来性がないことを揶揄してるんだけど。平凡、汎用、波風立たず、そんな人生。

私に関わる人全てがそうだし、みんな生きるのに必死。明日のことなんかほとんど考えてない。生きるのに必死。考えても無駄だと気づく。けど私はどうしても明日を考えて今日も眠れない。人は死ぬとどうなるの。生きてて意味があるの。それが分からないから、人は宗教に縋る。でも私はそれをしない。他人を神に見立て、さも宗教かのように扱うことを軽蔑してる節はある。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。神になる人間はいない。人間。人間とは。

 

生きるとは、考えても答えは一生出ない。もしくはいつ死ぬと決まっている前日にふと気づいたりするのかもしれない。しかし、人間はいつ死ぬかなんて分からない。だから一生生きる意味は分からないし、生きる意味なんかない。でも生きる。意味はなくても、生きる。

 

正解とは、正しいことをしたものが正解なのではなく、人間に都合のいいことをしたら正解なのです。つまり、この世に正しいことなど依然なく、人間が正しいを与えていくのです。馬鹿ばっか。人間同士にコミュニケーションツールがなければ、もっと人間は進歩しなかったのかなと思うと、人間の進化に落胆せざるを得ません。私たちは生まれるべきではなく、人間という動物の進化は止まり、淘汰されるべきだったと考えます。そしたら、悲しい子なんかいなくなるし、暗い人間と明るい人間に差なんて付けられなくなるし、なんにも悩まないで良くなるのにね。

一生人間コンプレックス背負う気がする。

寝れなくなってしまった

 

昨日はめっちゃ寝よう!

と思って3時間ドライブしてました。何故。蓮ちゃんです。

 

18時から寝てたんですけど3時ぐらいに目が開いて全然寝れなくなってしまったので可愛い子のTikTok見てたらとうとう寝るには遅すぎるし起きるにははやすぎる時間になってしまいました。鬱です。でも8時間以上一応睡眠は取ってるんですね。エライッ。

 

今回はちょっと真面目な話をします。本当に真面目なのでえ、これほんとにあの頭がやばい蓮ちゃんが書いてるの……?と思われるお嬢さんもいらっしゃるかもしれませんね。え?そもそも観覧者がそんな居ない?それはそうでした。

 

今回のテーマは昨今問題になっている誹謗中傷の件についてです。いや本当に真面目でしょう?

 

蓮ちゃんはリアル以外ではネトゲでしかインターネット上の誹謗中傷といえばされたことがありません。そもそも、そこまで活発的にネットでオープンに活動するということはありませんでしたから、誹謗中傷される経験というものがあまり分からないんですね。

 

しかし、今回実は蓮ちゃんはミスiDという新しい時代をサバイブする多様な女の子のロールモデルを発掘するオーディション(ミスiDHPよりコピペ)に応募して、初めてオープンに顔を晒したり、日常的なツイートをしたりしています。

 

あ、フォロワーが全然増えないのでフォローしてくれてもいいんですよ?twitter→@ousakarenで検索検索ゥ!!!!

 

余談(宣伝)を挟みましたが、そうオープン垢にすることは結構抵抗のある方だったんですね、知らない人に顔を晒したり、知らない人に自分を知ってもらうっていうのは、結構難しい、というか危ないことだというネットリテラシーの持ち主だったので。それで、昨日だったか、一昨日だったか、私のツイートに鍵垢RTがされてました。鍵垢RTって何?っていうお嬢様方の声にお答えすると、Twitterには、オープン垢(誰でも見れる)と鍵垢(許可した人しかツイートを見ることが出来ない)というものがありまして、後者の方ですね、後者の方にいいねやRTされても自分がフォローしてなければ通知は届かないし、誰がRTやいいねをしたのか知ることが出来ないという仕組みになっています。

最初は、もしかして、宣伝してくれてるのか?!と思ってちょっと嬉しくなったのですがそれならばオープン垢でRTをしたり、いいねも同時にしたりするじゃないですか。するとこれはもしかしてアンチか?とふと頭をよぎりました。

蓮ちゃん初めてのアンチです。すごくない?(すごくない)

いや、その方が純粋に蓮ちゃん可愛い、サイコーと思って鍵垢RTをされているのなら本当に申し訳ない。ただの憶測で物を言ってマジメンゴ。って感じなのですが、もし悪意のあるRTでブッサwwwwwwwフォロー外すわwwwwみたいな感じだったら、蓮ちゃん初めてのアンチですよ。なんかそう考えると感慨深いな(深くない)。

 

そこで少し、昨今問題になっている誹謗中傷について頭をよぎりました。蓮ちゃんの場合は直接言われていないので、誹謗中傷に当てはまらないとは思うのですが、匿名で人の心を持たない人はいます、この世の中ネットが発達すればするほど沢山になると思います。リアルでもいるじゃないですか、1人だけ招待されてないLINEグループで散々悪口いうやつ。面と向かって、言う勇気が無いんですね。

まず、誹謗中傷は何故起こるのかについて考えてみると2通りあると思うのです。1つ目は本当にこの人のことを思って、直して欲しいと思ったから言い方を悪くして、悪口ぽく言った、これが結果として誹謗中傷になってしまった。2つ目は本当はその人のことをどうでもよく、誰でもいいから罵詈雑言をはいて、ストレスの捌け口にしたかった。

今の誹謗中傷問題を見ていると圧倒的に後者が多いんだろうなと思います。本当に芸能人、有名人に蓮ちゃんはなったことがないので、その人が受ける誹謗中傷について詳しくは語ることが出来ません。経験してないものを経験した体で話しても薄っぺらくなりますからね。

でもネットが発達して、個人個人の特定が難しくなればなるほど、後者の方が多くなると思います。それほど、ストレスを他の所で上手く発散できない、人の不幸を喜んでしまう、というのが現代日本の現状では無いのだろうかと感じてしまいます。

人の良いところを話すより、悪口の方が盛りあがったりすることありませんか?それと同じで人間の本質は他者より自己の方が上手くやっているとすり替える事で、安心感を得たいのではないのかなと思います。

それだけ自己の確立が上手くいってない人が多いのでしょうか、なんだか難しいですね。日本人の自己肯定感の低さは目を見張るものがあります。謙虚、と言ってしまえば聞こえはいいですが、それに本質を伴っていないとただただ中身のない空っぽの人間になってしまいそうです。

 

なんだかズレてしまった気がします。誹謗中傷はなかなか無くならないと思います。なぜなら、誹謗中傷をする人が安心感を得られないからです。他者の価値を落とすことで自分の価値を持ち上げているのです。そのような方法でしか、自分を確立出来ない人が多いからです。こう考えると日本の教育にも問題を覚えますね、どうにかして、自分の機嫌は自分でとる。他者に依存しなくても、自分を確立させる。そのような事を教育を進める上で学べたら良いとは思いますが、人間十人十色なので、一人一人にそれを教えるのは難しそうです。なので、ネットリテラシーというやんわりして人の悪口を書き込んだりしちゃだめだよということしか教えられないのでしょう。これでは、本当に教師の言うことを守り、書き込まない人とそんなん知るかばーかって書き込んでしまう人が出てきてしまいそうです。なぜなら強制力がないからです。義務ではないからです。では、家庭でそういう教育をしたらどうだ、と考えるのですが、家庭崩壊を起こしたり、母子家庭や父子家庭でほとんど家に人がいない環境で育った子供にそれを教えるのは難しいと思います。それに加え、大人でも自分を他者に依存し、他己肯定感だけが肥大して、他者から離れられない人が沢山います。難しいですね。蓮ちゃんの頭では考えれば考えるほど分からなくなってきます。

 

誹謗中傷について考えたのですが過去一真面目で長くなってしまいました。長文スマソというやつです。しかも途中から自己肯定感の話をし始めました。話が脱線してしまうのはブログを書く上であまり上手くないやり方ですね。反省してまーす(大嘘)

 

 

5/25

 

ねっむ、蓮ちゃんです。

特筆することがなくなってきました。

蓮ちゃんは友達のことが大好きで好きだからこそ小学生みたいないじり方をするのですがいい歳して良くねえなと今日は思いました。

 

あとうんこがでません。快便で有名で、なんなら食った後すぐトイレに籠るぐらい排泄をしていた蓮ちゃんが1週間いやそれは言い過ぎたかもしれない5日くらいかもしれない出てません。腹痛の原因がハッキリしてスッキリですね。大腸の方はスッキリしませんが。ハッキリとスッキリで韻が踏めますよ、ラッパーの皆さん使ってください。

 

(追記)この記事を書いた1時間後に出ました。

もちろん蓮ちゃんは女の子なのでうんこなんかしないのでマシュマロの話ですよ?

こんなキャラ作りに行っても厳しい感じがしますね、アイドルだってうんこするやろが。

古き良き思い出

 

こんばんは、蓮ちゃんです。

今日も今日とて腹痛を抱えている。もしかして原因バナナミルクジュースでは無いのではないかと思い始めました。

 

突然ですが、皆さん、人生で1番ハマったものって何ですか?

アイドルですか?小説ですか?アニメですか?映画ですか?

 

私はゲームでした。

高校時代私は高校3年生ぐらいからちょくちょく週2ペースで休み、10月ぐらいから全く学校に行けなくなる期間がありました。

そのせいで浪人しちゃったのですが。

高校3年生の時、勉強のしすぎ、いやしすぎって言うほどしてないけど、自分の努力と結果が上手い具合に比例しないことに辟易として、病んでしまって、周りは余裕そうに見える(実際そうではなかったと思うけど)のに自分だけがずっとE判定、このまま進んでも落ちるだけ、と思ってちょっと狂ってしまった時期がありまして。

その時、泣いて母親を困らせ、病院通い、現実とは、未来とは、何も見えなくなった時期がありました。今ではそのことをあんまり鮮明に覚えていません。というのも、何を考えて何をして生きていたのか印象に残らないほど、何も考えてなかったし、何も感じてなかったのでしょう。一言で言うなれば虚無、そんな状態でした。

 

そんな状態を変えてくれたのがオンラインゲーム、いわゆるネトゲです。

ネトゲにハマって、最初は人とは関わらず、1人でストーリーを進めていってそれで満足でした。すると弟が同じゲームをやりたがったので、わざわざ他機を購入して、2台でゲームしたものです。すると、交友的な弟に仲良いフレンドが出来ました。それを羨ましく思った私は、それを奪うかのように、その子と仲良くなりました。今考えたら酷い姉ですね。

そこからは、フレンドと遊ぶ毎日楽しかったです。ずっと、浪人がはじまるまでは。

浪人がはじまってからは、勉強しながらゲームなんて、考えられません、ましてや蓮ちゃんの第一志望校は控えめに言っても有名大学、ゲームしながらなんて甘えたことは本当は言っていられませんでした。でも、私にとってネトゲは救いでした。たった一つのコミュニティで、生きる私にとってかけがえのないもので何回も何回も辞める!って言っては戻りを繰り返しました。これも良くなかったなあと今になって思います。結果、私はそのゲームきっかけで恋仲になる男性が現れたのですが、私はそれまで男女交際などしたこと無かったし、中高6年間男性と喋った時間は1時間にも満たないレベルで正直付き合い方など分からず、周りに迷惑をかけ色んな人を傷つけて、ネットゲーム人生に幕を引きました。それから、恋仲になった人とはお別れをし、ちょくちょく細々と残ったフレンドと遊ぶことはあったのですが、いつの間にかみんな私に呆れて、離れていきました。全部私が未熟なせいだと思うのです。

 

所詮、ネット。そんな考え方をしてしまう人がいるのは致し方ないと思います。でも、私はそのネトゲに救われてたし、ネトゲが無かったらずっと、前向きになれないまま、大学生にもなれてなかったかもしれないと思うと、全部が全部悪い思い出ではなかったと思います。ネトゲをやってる人でえぇと思う人はいます、実際私の周り8割えぇと思う人でした。でもその価値観のズレが面白かったのかもしれませんね。

 

久しぶりに、写真のカメラロールを見てたらその頃の写真が残ってたので思い出に浸り、もう1回始めてみよっかな?と思ったのですが、思い出は思い出で風化させようと思います。

私は前向きにリアルを楽しむことにします。全然楽しくないけど、いつか楽しい、私今まで生きてて良かったなあって思える日が来たらいいですね。

 

蓮ちゃんでした。