蓮の葉ブログ

逢坂の蓮ちゃんが日々悶々としていることを書きなぐるブログ

蓮ちゃんの読書感想文7/6

 

第2弾 『変身』 フランツ・カフカ 作 原田義人  訳

 

感想

ある日突然襲ってくる不幸に耐えられるかどうか試されているメタファーなのか少しよく分からなかった。作者が意図して読み取って欲しいことを読み取れなかった、それは私の読解力の無さなのか、それは分からない。家族がもし、他の家族の居場所を脅かし自分たちを不幸へ落とす気はなくても、結果そうなってしまったら人間はどこまで家族のことを見捨てないでいられるのだろう。そして、人間である自分を自分たらしめるものは一体なんなのか、過去なのか、それとも外見なのか、そういったものが一切なくなってしまったらそれはもはや自分だと言いきれるのか、また家族から見て、それは元の家族だといえるのか、なんとも難しいテーマである。

グレゴール氏がただただ何もしていないのに不幸にも虫になってしまって、そのまま結末を迎えたことは第三者の私から見たらただただ不幸なお話、で終わってしまう。しかし、グレゴール氏の父母妹といった家族にしてみたらどうだろう、最終的には喜びもう苦しまなくていいと明るい未来に動き出していた。ここで、グレゴール氏の視点で考えてみることがこの作品の本質なのではないかと思う。人間でなくなってしまった自分。人間であった自分を無くしてしまった自分。もう何がなんだか分からず食欲もなく、部屋でずっと固まって居間で家族が働いているのをただ眺める毎日。そんな生活をこれ以上続けることが本当に幸せなのだろうか。人間は生きていればいいことがあるとよく言う。実際に私も何度も落ち込んだ時に周りの友人や家族からそう励まされていた。しかし、グレゴール氏のように、自分が自分でなくなるような決定的な不幸があったら?もしくは、生きてるだけで家族にとってのお荷物となってしまうことが明らかである場合は?それでも生きていくことが大切だと言えるのだろうか。グレゴール氏にとってはハッピーエンドだったのかバッドエンドだったのか、私には正直分からなかった、これも読解力の無さだったらもっと鍛えなければならないと思うが、そんな単純な話なのだろうか。自分を自分であるといえる証拠、それは私にとってはなんなんだろう。もし朝起きて虫になってしまったら、私は私であることを主張しようともう私ではないのかもしれない。今こうして、ブログを書き、思考し、自分の考えを発信できているからこそ、私は私なのかもしれない。